まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか

[要約]
ナシーム・ニコラス・タレブ「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」はランダム性を学ぶのに最適。啓蒙書を読むことはほとんどない人生。読むべきはおっさんどもではなくて高校生など若い人たち。規則の逸脱。20年前の田舎の高校生。偶然であるがゆえに連続す。モンテカルロ法な話。乱数と低食い違い列。そして、推薦の言葉

[規則の逸脱]
僕は、普段は、啓蒙書を書評したりは(あまり)しない。時折、知り合いに啓蒙書を書いて、僕に献本してくれる人がいるのだが、それらのほとんどをblogで取り上げたことがない。

それは意地悪をしようとかそういう意図はなく、僕が「ほとんど啓蒙書を読まない」からだ。僕が啓蒙書を読むのはよっぽど何かあった時だけだ。雷に打たれて神の啓示を得たとか、他人の名前を書くとその人が死んでしまうノートを拾ったとか、ライトセーバーを持った黒いヘルメットに黒マントの大男に「私がお前の父だ」と言われたとか、研究テーマに行き詰ってるとか・・・

・・・うん、まあ、理由はいいさ。ナシーム・ニコラス・タレブ「まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」はなかなか興味深い本だ。これを読めば科学と社会においてとても重要なランダム性について多くの手がかりが得られる。しかし、すでに「まぐれ」の書評を書いた人たちの多くはその本質を必ずしも分かっていないように見える。だって彼らの誰一人として自分でモンテカルロ法を実際にプログラミングしたことどころか、それをまともに学んだことがある人だっていやしないじゃないか。

さらに、この本の帯には「ウォール街のプロが顧客に最も読ませたくない本!」と書いてあって、道行くサラリーマンのおじさんたちに訴えかけている。うん、まあ、そういう読者層も悪くはないけれども、そういうサラリーマンたちに読ませてもあまり効果は望めないんじゃないかな。彼らの多くはもうすでに「まぐれ」にすがって生きるのに慣れてしまっているし、今さら「実は、今までの人生は間違ってました。今日から確率を基礎とした人生に切り替えます」なんて認めるはずもないしね*1

じゃあ、誰が読むべきだろうか?僕は今まだ高校1年か2年の(男女を問わず)人生や科学の考え方に興味ある学生さんが読むべきだと思う。もしかしたら、少し頭のいい中学生でもいいかもしれない。大学の1年生か2年生でも間に合うかもしれない(まあ、「今からでも人生の在り方を見直したい」サラリーマンでもいいとは思うけど)。

しかし、そう言った若い人たちが「なぜ、この本を読むべきか」を説明するのは必ずしも簡単ではない。そこで今回は「啓蒙書を読まない(書評もしない)」という自分自身の規則を破って、書評を書いてみたいと思う(とはいえ、普通の書評ではないけど)。

[最初に用語の説明]
話を始める前に「ランダム性」と「乱数」について簡単に説明しておきたい。といっても以前、メルセンヌツイスターで著名な松本眞先生の講演を取り上げた時に話題になったように万人が納得する「ランダム(性)」と「乱数」に関する定義はないらしいので「ランダム(性)」を「規則性がなく、でたらめであること」、「乱数」を「規則性がなく、でたらめに発生させた数」と大雑把に定めることにしよう。

[汝、偶然ゆえに集合す]
20年程前のことだ。ある田舎に一人の高校生がいた。詰襟の制服を着ていて、眼鏡をかけていて、色が浅黒くて、背が低くて、おまけにさえないしょぼくれた感じの高校生だった。さらに悪いことに当時の学校での成績は下から数えたほうがずっと早かった。彼が高校3年生になった時、4月に物理のテストを受けた。点数は8点だった。彼は物理の教師にこう言われた。「せめて10点は超えてくれ」(不思議なことに彼はその高校の理系コースに進んでいた)

もっと悪いことに、彼にはさらに不得意な科目があった。その名も数学という。だから、数学の教師が苦手だった。なんというか・・・・まあ、やりづらいよね。

ある時、彼は授業を終え、電車に乗って帰ろうとしていた。電車に乗って、彼は気がついた。

数学の松田先生がいるじゃないか*2

高校生が黙って別の車両に逃げ出すよりも松田先生が彼を見つける方が早かった。

「やあ、最近どうですか?」

最近どうですか???えーっと、先生の授業の授業の半分くらいは分からず、宿題は三分の一くらいしか解けなくて、えーっとえーっと・・・高校生は困って思わず言った。

「最近、事件とか事故が頻発していて、なんだか世の中が、悪くなっていくというか、怖い方向に向かっているんじゃないかと思って、心配です」*3

松田先生がゆっくりと息を吐くのが分かった。彼は何かを言おうとしていた。

ああ、先生、もしかしてこの間のテストの点が悪かった話ですか?

「乱数というものは、乱数であるがゆえに、一か所に集まってしまうことがあるんだ。一か所にものすごーーーく集まってしまうことさえ珍しくない」

えーっと、先生。乱数って、バラバラなんでしょ?バラバラなのに集まってしまうんですか?

「そうだね。乱数というと、バラバラとかでたらめという印象があるよね。しかし、それぞれが等間隔に並んでいる訳じゃない。等間隔に並んでいたら、それは『規則的』だからね。ランダムって言うのは、みんなが思うようなバラバラじゃないんだ。ランダムであるがゆえに集まってしまうことがあるんだよ」

「だから、飛行機事故が相次いだり、いやな事件が連続して起こったりしてもすぐに悲観したりしてはいけないよ。それは単に偶然が連続して起こっただけかもしれないからね

偶然であるがゆえに連続して起こることある?!
その意味することが必ずしも良く分からなかった高校生は松田先生が電車から降りた後も、ずっとそのことを考えていた。

[ランダム・オア・ナット]
その田舎の高校生は一浪の末に大学に進学し、ある大学の基礎工学部の学生になった。彼が2年生になると「数値解析」という授業があり、コンピューターを用いた科学シミュレーションを学んだ。その授業の講師は非常にすぐれた物理学者で、学生たちにこんな図を見せて質問した。

「グラフAとグラフBのどちらがランダムだろうか?」

少し解説しよう。二つのグラフのうち、一方は乱数(正しくは擬似乱数)を0から1の間で2回発生させ、それを300回繰り返してグラフにプロットしたもの。もう一方はある種の規則的な数の列を2組300回作ってグラフにプロットしたもの。言い換えると、一方はランダムに発生させた数から作られたグラフ。もう一方は規則正しく作った数から作られたグラフ。グラフAは点がバラバラに散らばっている。グラフBはある程度はバラバラだけど、点が集まっていたり、まるで線のようにつながっているところもある。

さて、どっちがランダムだろうか?

講師は学生たちに手を上げさせた。グラフAに手を挙げた者多数。グラフBに手を挙げた者小数。そして、高校生もグラフAに手を挙げた。

「グラフAはHaltonの低食い違い列というものを用いて、規則正しく発生させたもの。グラフBは乱数を使ってランダムに発生させたものだ*4

そう講師は言った。

「グラフAを見てほしい。各点がバラバラで、どこか一か所に集まったりしていないよね。これは『それぞれが集まらないように』という規則を課して発生させたからなんだ。しかし、そういう規則があるってことはこれは乱数じゃない」

乱数は乱数であるがゆえに、集まることがある

そして、集まることは単に偶然であって意味はない

高校生(その時には大学2年生になっていた)は顔をあげて、講師の顔を見た。

「松田先生の話だ」と彼はそう思った。

彼はやっと、様々な謎が解けたような気がした。

[まぐれ]
いつでもまぐれは発生する。グラフBで点がいくつか集まっていたり(もちろん偶然)、並んでいる(ように「見える」だけの)ところがそうだ。

乱数は乱数であるがゆえに、集まることがある。そして、集まることは単に偶然であって意味はない。

もし、今日、あなたが朝起きてすぐにたんすの角に足の小指をぶつけ、通学電車に乗り遅れ、学校に着くなり担任に呼ばれて怒られたとしても、すぐに「神社にお守りを買いに行こう」などと思ってはいけない。

もしかしたら、単に偶然に悪いことが重なっただけかもしれない(とはいえ、もしかしたらあなたの普段の生活態度が悪いせいかもしれない)。

もし、今日、あなたが朝起きて、テレビの星占いが1位で、通学電車でカワイイ子(もしくはイケメン)を見かけ、学校で100点のテストが帰ってきても、すぐに「俺って(もしくは私って)天才」などと思ってはいけない。

もしかしたら、単に偶然に良いことが重なっただけかもしれない(とはいえ、もしかしたらあなたは天才なのかもしれない)。

ランダムについて学ぶと、これらの日常の出来事について今までとは少し違った観点から見ることができるようになる。本来ならば、そういった見方は学校で教えるべきことではないかと僕はよく思う。

しかし、まだ若い皆さんに近くには「松田先生」がいなくても心配することはない。この本「まぐれ」が皆さんの「松田先生」になってくれるだろうと僕は思う。

この本「まぐれ」は金融市場(株の取引やもっと難しいデリバティブと呼ばれる金融商品など)を例にとってランダムな事象についてを学ぶことができる本だ。その他にも「人間の頭は確率を計算するのは不得意なので、すぐに騙されてしまう」というような話も学べる(昔、田舎の高校生が騙されてしまったようにね)。

これらの知識は若い皆さんが「科学的に考える」時に大いに役立つだろうと思うし、もしかしたら人生においても何か役立つかもしれない(金融市場に詳しくなくてもそんなに気にせずに飛ばして読んでもたぶん大丈夫)。

だから、読んでみると楽しめると思う(ただし、「明日受験だ」なんて人は受験が終わってからでいいと思う)。

[終りに〜ある高校生の20年後〜]
さて、その田舎の高校生はいまでは何をしているのだろうか?彼はその後も科学と工学を学び続け、今回の話以外の面白い話も知識として身に着け、今ではモンテカルロ法を学び始めて20年のベテランになった(松田先生から話を聞いた時を出発点とすれば)。

そして、モンテカルロ法を用いて非線形・非ガウス・非定常時系列を解析するという研究と、世界でも特にマニアックな「モンテカルロ法を用いた時々刻々と変化する係数を持つ構造自己回帰モデル(時変係数構造自己回帰モデル)」を研究している。

彼が考えた「ナイト不確実性を軽減するインチキな方法」だとか「黒い白鳥をある程度高速に撃ち落とす方法」なんていった話はまあ、それなりに面白いんだけど、その話はまた別に機会があったらすることにしよう。

*1:とはいえ本が売れるのはいいことだ。少なくとも著者と訳者と出版社には

*2:念のために言うと松田先生というのは仮名だ

*3:ちなみにマスコミはいつも「凶悪犯罪が年々増加していて」「少年犯罪は毎年凶悪化していて」「社会のモラルは崩壊へ向かっている」と報道していて、それが事実と反することが少なくないということにその高校生が気がつくのはもう少し後になって統計学を学んでからの話になる

*4:実際にはSobolの低食い違い列だったかもしれない