僕が交換機を作っていた頃

さて、話は1996年のことだから、今からすでに12年近く前のことになる。

僕はある国立大学の工学系大学院修士課程を卒業したばかりで、生意気だった。当時、少林寺拳法三段をとったばかりだったし、体力的にも知力的にも僕が最も充実していた時期だ。

僕は通称「ミカカ」で知られる通信会社に採用され、フレームリレー交換機開発に回された。

正直に言って面白くなかった。1996年当時すでにフレームリレー交換機は時代遅れだったのだ。さらに面白くなかったのは、着任直後に少し禿げかかった風采の上がらないおじさんの下に付けられたことだ。その人の名は西嶋さんといった*1

「よし、お前、来い」

西嶋さんは僕を呼んだ。僕を呼ぶ時には「お前」か「矢野」と呼び捨てだった。それも気に食わなかった。

「いいか、ここにある架は、大阪だ。そして、向こうにあるのが東京。そして、名古屋、福岡だ。いいか?」

職場にはフレームリレー交換機を開発するための部屋があり、そこには4台の交換機が置いてあった。そして、名前は東京、大阪、名古屋、福岡。実際にその四都市にある交換機と同じものが職場の開発室に備え付けられており、24時間轟音を立てながら動いていた。

「いいか、FHM(これがその交換機の開発名)は、0系と1系からなっている。こっち半分が0系。反対側が1系だ。普段は0系が動いているが、トラブルが起こるとそれが1系に切り替わる。お前、フォンノイマン型コンピュータのことは分かるか?」

「分かります」

「じゃあ、そこを見てみろ。コンピュータでいうところのバスに相当する部分だ。交換機ではスイッチと呼ぶ」

そして、西嶋さんは交換機にもCPUがあること。CPUがデータの処理をしているという意味ではコンピュータと同じ仕組みであることなどを分かりやすく教えてくれた。

僕はいつの間にかその風采の上がらないおじさんの言葉に熱心に聞き入っていた。

「よし。矢野。この下のモジュールを抜いてみろ」

「え?いいんですか?」

「つべこべ言わずにやりゃいいんだよ」

僕はあわてて、交換機の下の方のモジュールを力任せに引き抜いた。

その瞬間に眠っていたはずの交換機の1系の前面に無数についた発光ダイオードが一斉に点滅した。

そして、カチカチと音を立てながら・・・瞬時に0系の電源が切れ、そして1系に切り替わった。

その時間はほんの1秒か2秒。交換機につながった操作用端末を覗き込んで、何事もなくデータが流れ続けるのを僕は確認した。

「おい、矢野。この交換機のOSは何だと思う?」

「ええーっとUNIX?」

「馬鹿かお前は。UNIXなんて不安定なOSの訳ないだろ」

そう言って西嶋さんは部屋の隅の金属製の本棚のドア(それも金属製だった)をガラガラと音を立てて開けた。

「こいつはな、TRONで動いている。正式にはCTRONという。時間あるときに読んでおけ」

指をさした先にはCTRONの仕様書が並んでいた。僕の記憶では確か全部で15巻。本棚の一角を仕様書が占拠していた。

とにかく西嶋さんはその交換機のことなら何でもよく知っていた。ハードウェア構成のことからソフトウェアの仕様まで。TRONのことも詳しかった。TRONの中心にはカーネルがあること。その周りにはEOSというOSを拡張する部分があること。その上にAPLというソフトウェアが走っていること。なぜそんな風になっているのかなどなど・・・とにかく理詰めでそれらのことを良く理解していた。

それから僕は毎日、西嶋さんの金魚のフンのようにずっと彼の後ろを歩くようになった。西嶋さんがしゃべることは何でもメモした。時には西嶋さん自身がうんざりした顔で、「おまえなぁ、そんなことまでメモしなくていいんだよ」というほどに。

年が明けて、2月になったばかりのころだ。西嶋さんに辞令が下りた。故郷のある支店に戻るという。

「西嶋さん、こんなに早くいなくなるのはずるいですよ」

僕は言った。

「そうか?矢野に教えるべきことはほとんど教えたけどな」

と彼は言った。

そして、西嶋さんがあと数日で故郷に帰ってしまうというとき、僕らは二人でお別れ会代わりにちょっと飲みに行った。

でも、話題は交換機のことばかり。僕が担当している複雑なモジュールの仕様の決め方や来週から始まる新しい通信テストの設定の仕方、一緒に働くメーカー担当者相手にどう接したらいいかなどなど・・・

それらの質問に西嶋さんは丁寧に、時にはじっくりと考えてから的確にアドバイスをくれた。僕が何でも質問するので、最後に西嶋さんは少し呆れたように言った。

「いいか。矢野。交換機に限らず、ネットワークのことはな。理詰めで考えろ。切れた時には必ず切れた場所がある。理詰めで考えていけば必ず見つかる。心配するな」

僕はふと疑問に思った。そして、そのまま口に出した。

「西嶋さんって、どこ大学の卒業でしたっけ?」

そう言えばまだ聞いていなかった。西嶋さんほどの人だ。東大工学部だろうか?理学部?いやいや京大ってことも考えられるぞ。

西嶋さんがじっと僕を見た。

「矢野、俺は高卒なんだよ。」

その目は今でも忘れられない。

その日から僕は学歴のことを気にしなくなった。相手がどんな学歴を持っていようと気にならなくなったし、自分の学歴を自慢げに他人にしゃべることもなくなった。

だって、そうさ。そんなことには何の価値もないんだ。少なくともあの瞬間から僕にとっては。

*1:実際の名前とは違います。