血のつながらない大きな家族の物語〜ヤバい社会学〜

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さて、どうしたものかと思う。この本を数分前に読み終わったばかりだ。今は日曜日の朝4時半。いや4時35分を回ったところか・・・

僕は夢中でこの本を読んでしまった。

この本は社会学者スディール・ヴェンカテッシュが博士課程の学生だった時代に、ロバートテイラーホームズ(本書の舞台になるシカゴで貧しい黒人たちが住む大型団地)に行き、JTというギャングのリーダーについて回りながら(本書の用語では「つるみながら」)、多くの人にインタビューし、時にはそこで起こる騒動に巻き込まれた記録だ。ほとんどのエピソードは1989年から1996年くらいの間のことのようだ(その後のロバートテイラーホームズの話も少しだけ紹介されている)。

この本を読んで、ある人たちは「アメリカにおける人種差別の深刻さを表わしている」と言うだろし、ある人たちは「貧困が固定化して格差社会が生まれることの問題点を示している」と言うだろうし、ある人たちは「アメリカに生まれなくてよかった」と言うだろうし、ある人たちは「ヤクを売りさばくギャングって思ったよりも企業に似ているんだな」と言うだろうし、ある人たちは「ギャングのリーダーJTはなんて魅力的なんだ」と言うだろうし、ある人たちは「著者は特定の人物にばかり影響されていて、客観的に研究者としてロバートテイラーホームズを見ることができていない」と言うだろうし、ある人たちは「これが『現場』だ!いつも抽象的な数字ばかりこねくり回している学者どもは見習うべし!」と言うだろうし、ある人たちは「著者はなんてバカなんだ。ギャングと一緒にいて、ギャングが人を襲撃する計画としているときには警察に通報する義務があるって基本すら知らないなんて!」と言うだろし、ある人たちは「著者は何でこんなに失敗ばかりして住民に迷惑をかけているんだ、信じられないよ!」と言うかもしれない。

それらの感想はある程度は正しい。少なくとも本書のある一面を捉えていると思う。

僕はこの本を「血のつながっていない大きな家族とその大きな家族の中に迷い込んだよそ者の物語」として読んだ。

この本は貧困ゆえに肩を寄せ合って生きていかねばならない血のつながらない大きな家族とそこに迷い込んだ学生・スディールの成長の物語だと思う。そして、家族の中にギャングがいて、ホームレスがいて、娼婦がいて、ヤク中がいて、子供たちがいて、子供たちをギャングにさせないように努力する大人たちがいて、彼らに影響されながら徐々に研究者として育っていくスディールがいて・・・

確かにギャングの話が本書の大半を占めている。しかし、僕が感銘を受けたのは、貧困の中にあってもスディールを温かく迎え入れた人々の話だ。

そして、僕もスディールと似たような経験をしたことがある。「血のつながらない大きな家族の中に迷い込んだ」ことがあるのだ。ちょうど14年前のことだ(とはいえ、共通するのは「血のつながらない大きな家族」がいたという点だけで、その他の点はまったく本書とは異なる)。

・・・・僕は何をやっているんだ?もう朝の6時前じゃないか・・・・

朝の4時半から6時まで、僕は非常に長い話を書いた。でも、それは消してしまうことにする。ここに書くのは適切ではないからだ。それに「血のつながらない大きな家族の中に迷い込んだ僕の」話だし。スディールが本を書いたように、僕もあの時のことを書くことができる日が来ればいいなと願っている。

・・・とにかくこの本は非常に興味深いエピソードを無数に含み、いろいろな読み方ができる本だ。少なくとも著者スディールは「○○のエピソードは××と解釈すべきだ」とか「△△と分析できる」なんてことは一言も言わない。ただ、魅力的な多くのエピソードが皆さんの前にただ投げ出されている。まるで「どう解釈すべきかは皆さんにお任せします」とでも言うように。

ああ、そうだ。僕は単純にこう書けばよかったんだ。

読め!

ヤバい社会学

ヤバい社会学