マクロ経済学入門の憂鬱〜New IS-LMをどのように講義に含めるべきか?〜

さて、現代マクロ経済学で基本となる経済モデル(New IS-LMといいます)は以下の三つの式(通常、第一式をNew Keynesian IS曲線、第二式をNew Keynesian Phillips曲線、第三式を金融政策ルール(テイラールール)と呼びます)で表されます。
 \bf{\hat{Y}_t = E_t \hat{Y}_{t+1} - \Bigl( \frac{1}{\sigma} \Bigr) (\hat{i}_t - E_t \hat{\pi}_{t+1}) + u_t}
   \bf{\hat{\pi}_t = \beta E_t \hat{\pi}_{t+1} + \kappa \hat{Y}_t + e_t}
 \bf{\hat{i}_t = \phi_Y \hat{Y}_t + \phi_\pi \hat{\pi}_t }
ここで \bf{\hat{Y}_t}は産出ギャップ、 \bf{\hat{\pi}_t}はインフレ率、 \bf{\hat{i}_t}名目金利[ハットがついているこれらの値は均衡からの乖離率を表す]、 \bf{u_t} \bf{e_t}は誤差項、それ以外は係数です。重要な変数である \bf{\hat{Y}_t}は景気を表す値で、正ならば景気が良く、負になれば景気が悪いことを示します。

で、内生変数は少なくとも実質成長率、インフレ率、期待実質金利(=短期名目金利-期待インフレ率、以下実質金利)の三つがあるわけです。しかし、学部1年生向けのマクロ経済学講義で式を使わずに図だけで説明すると、ほとんどの場合、2次元のグラフしか使えない・・・つまり縦軸に変数を一つ、横軸に変数をもう一つ、合計2変数で説明をしないといけないわけです。

考えられる組み合わせは
(1) 実質成長率と実質金利
(2) 実質成長率とインフレ率
(3) インフレ率と実質金利

の3パターンあります*1

「New IS-LMを基礎としてマクロ経済学入門を教えるにはどうすればいいか?」についてはRomer (2000), Romer (1999, 2006), Taylor (2000)が非常に包括的な議論をしていますが、実際に教える時に(1)に力点を置くか、(2)に力点を置くかは論者によって若干の違いがあるようです。

Turner (2006), 飯田・中里 (2008)では(1)を中心とした教え方が提案されており、スティグリッツ・ウォルシュ (2007)では(2)を中心とした教え方がなされています。残念ながら(3)を中心に教えた先行例は見つかりませんでした。

(1)の方法が良い点は、IS曲線と金融政策ルールを教えることにより、「なぜ、マクロ経済政策にとって金融政策が極めて重要なのか」を教えることができる点にあると思います。さらに従来型のIS-LMと一見似ている(少なくとも縦軸と横軸に使う変数はほぼ同じになる[実際には変数の細かい意味づけが異なる])というのも、もしかしたら利点になるかもしれません。

そして、おそらく一番無難な講義のやり方としては先行例が多い(1)に従った教え方だろうと思います。しかし、矢野としてはできれば(2)のやり方で講義をしてみたい・・・というのが本音です。

理由は非常に簡単で、マクロ経済学で重要な2大テーマは「インフレと実質成長」もしくは「インフレと失業」だと思うからです(短期の景気循環に関する話題に限る)。(2)ならばそれらのテーマを講義の中心に据えることができます。

(2)の欠点は、「総需要・インフレ曲線」(New Keynesian IS曲線に相当する)「インフレ調整曲線」(New Keynesian Phillips曲線に相当する)というちょっと分かりにくい曲線を導入しないといけないという点と金融政策ルールを明示的に導入できない点にあるように思います。

さらに問題な点としては日本の場合、「デフレに陥る」という世界でも珍しいマクロ経済状況についても説明しないといけないため、「デフレとその原因をどう解説するか」も非常に頭の痛い問題です(これは(1), (2)に共通した問題点)。

実際のところ、どうすべきか?

17日から後期の講義(マクロ経済学入門)が始まるのですが、「どちらの方法で行くべきか」、正直に言ってまだ決めかねています。

[補足]
もちろん、従来型のIS-LMを使って教えるという方法もありますし、「スティグリッツ入門経済学」マクロパートのように様々な市場の需要曲線・供給曲線だけを使う方法も、「マンキュー入門経済学」マクロパートのようにAD-AS曲線を使う方法なども考えられます。

スティグリッツ入門経済学」を教科書に採用しているので、その内容を淡々と講義するのが一番、簡単な方法だとは思うのですが、どうしても「それでいいのか?」というじりじりとした焦燥感のようなものが感じられてしょうがありません。

[参考文献]
飯田・中里、(2008)、「コンパクトマクロ経済学」、新世社.
ジョセフ E.スティグリッツ, カール E.ウォルシュ、(2007)、「スティグリッツ マクロ経済学<第3版>」、東洋経済新報社.
Peter Bofinger, Eric Mayer, and Timo Wollmershauser, (2006), "The BMW Model: A New Framework for Teaching Monetary Economics," vol. 37(1), pages 98-117.
http://www.economia.unimore.it/marotta_giuseppe/didattica/scem1_0708/wep34.pdf
Wendy Carlin & David Soskice, (2005), "The 3-Equation New Keynesian Model --- A Graphical Exposition," Contributions to Macroeconomics, Berkeley Electronic Press, vol. 5(1), pages 1299-1299.
http://www.ucl.ac.uk/~uctpa36/3equation_2005_withtitle.pdf
David Romer, (2000), "Keynesian Macroeconomics without the LM Curve," Journal of Economic Perspectives, American Economic Association, vol. 14(2), pages 149-169, Spring.
http://elsa.berkeley.edu/~dromer/papers/JEP_Spring00.pdf
David Romer, (1999), "Short-Run Fluctuations," Manuscript (Revised January 2006).
http://elsa.berkeley.edu/~dromer/papers/text2006.pdf
http://elsa.berkeley.edu/~dromer/papers/Figures_for_Web_1-2-06.pdf
John B. Taylor, (2000), "Teaching Modern Macroeconomics at the Principles Level," American Economic Review, American Economic Association, vol. 90(2), pages 90-94, May.
http://www.econ1.com/Teaching/Papers/AEA2000Teaching.pdf
Paul Turner, (2006), "Teaching Undergraduate Macroeconomics with the Taylor-Romer Model," International Review of Economic Education, Economics Network, University of Bristol, vol. 5(1), pages 73-82.
http://www.economicsnetwork.ac.uk/iree/v5n1/turner.pdf
Weise, Chrles L., (2005), "Wicksellian Alternative to the IS-LM."
http://ssrn.com/bstrct=752504

*1:実際には期待項と現在の値に関する項の2種類があるので、変数がもっと多くなるはずなのですが、Romer (2000)とTaylor (2000)を見るとその違いをあえてあいまいにしているようです。