ハリ・セルダンになりたくて 第1部 (1)

星は見えなかった

2004年の12月半ばの深夜のことだ。僕は胃が痛くて道端に座り込んでいた。キリキリと痛んでしょうがなかった。僕はコートが汚れるのも気にせずにその場に座り込んだ。僕を見咎める人は夜更けで道には誰もなく、僕は刺すように冷たいコンクリートの歩道で膝を抱えた。

「あれのせいだ」僕は心の中でつぶやいた。「あれ」とは僕が1年ほど前から書いていた論文のために数日前に出した計算結果のことだ。僕の論文は時系列解析と動的計画法を用いて経済を最適に制御する・・・えーーっと、難しい話はともかくとして、僕の研究は「政府が経済を最適に運営するにはどのようにすればよいか」を調べることなのだ。

僕は2003年の半ば頃からこの研究をはじめ、かなりみすぼらしいプロトタイプのプログラムから出発し、数ヶ月前にきちんとしたプログラムが完成した。そして、ついに数日前に日本経済の場合のシミュレーション結果が出た。

「2006年から不況がはじまる」そうプログラム結果は教えていた。

そして、それを止める方法はない。多くの人が苦しむだろう。僕はそれを待つしかない。それが胃痛の原因だった。空を見上げた。

星は見えなかった。

どんなに目を凝らしても、それが曇っているからなのか、東京の空が明るくて星が見え難いからなのかは結局、分からなかった。

ハリ・セルダンになりたくて 第1部 (2)

今後の景気に対する政府・日銀の見通し

僕の景気に対する見通しについて説明する前に、政府と日本銀行(日銀)*1の景気に対する見通しについてまとめておきたい。

平成18年度経済見通しと経済財政運営の基本的態度[(平成17年12月19日閣議了解)]

平成18年度においても、消費及び設備投資は引き続き増加し、我が国経済は、民間需要中心の緩やかな回復を続けると見込まれる。

http://www5.cao.go.jp/keizai1/2005/1219mitoshi.pdf
http://www5.cao.go.jp/keizai1/mitoshi-taisaku.html

日本銀行 金融経済月報(基本的見解1)(2005年12月)

わが国の景気は、回復を続けている。(中略)先行きについても、景気は回復を続けていくとみられる。

http://www.boj.or.jp/seisaku/05/pb/gp0512.htm
http://www.boj.or.jp/seisaku/05/pb/data/gp0512.pdf
http://www.boj.or.jp/seisaku/05/seisaku.htm (基本的見解)

政府と日銀の経済見通しを要約すると「2006年も景気は良い状態が続く(もしかしたら今よりも景気は良くなる)」だ。「2006年から不況がはじまる」という僕の予測とは正反対だ。

だけど、安心する前にもう少しだけ僕の話を聞いて欲しい。

*1:日銀は日本で紙幣を発行しているところだ。もし、そのことを知らないならば1万円札でもなんでもいいので、お札を財布から取り出して、その表面に書いてある文字を確認して欲しい。

ハリ・セルダンになりたくて 第1部 (3)

経済を子守する

アメリカの経済学者Paul Krugmanが書いた「経済を子守りしてみると。」という面白い文章がある。幸いにも山形浩生さんのお陰で日本語訳で読むことができる。
http://cruel.org/krugman/babysitj.html

クルーグマンの「経済を子守りしてみると。」を要約するとこうだ。「働く人たちがお互いに子守をしあう組合を作る。子守を他の人にお願いするためには子守券を渡さないといけないが、人々が『この子守券は将来使おう』と思って溜め込んでしまうと、子守券が貴重になってしまって、『お互いに子守をして助け合う』という当初の目的が達成できなくなってしまう」。

この話を経済に置き換えると「子守券=お金(日本なら円)」、「子守で助け合うという目的が達成できなくなる=不況」になる。

そして、その困った状況は子守券をいつもより少し多めに発行する、つまり経済が不況ならばお札(日本なら円)を多めに刷れば脱出できる。ここが重要な点だ。

ただし、ここには重要な話が抜けている。クルーグマンははっきりとは書いていないけれど、実は子守券を発行する人が、子守券を減らしてしまうと「不況」がはじまる。というのは子守券が減ってしまうと子守券が貴重になり、みんな外出を控えて子守を頼まなくなるので、不況になるわけだ。そして、それは日本におけるお札(1万円札だとか5000円札だとか)に関しても同じだ。

日本銀行印刷機で刷るお札の量が不足すれば、不況がやって来る。

僕の研究は「日本銀行印刷機で刷るお札の量が少なすぎる」と教えていた。

だから、僕は2004年12月の深夜、道端に座り込んで星の見えない夜空を見上げていた。

(2005年12月31日に続きます)