中西準子先生ご講演要旨(リスク解析戦略研究センター開所記念講演会)

注意リスク解析戦略研究センター開所記念講演会」における中西先生のご講演内容の要旨です。矢野の理解が及ばず間違っている可能性が大いにありますので、ご注意ください。不適切な部分、間違い等を発見されたらコメント等でお知らせいただけると幸いです。)

[参考]
中西先生のHome Page:
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/

中西先生のグループのリスク評価手法の詳細については以下をご参照ください。
http://unit.aist.go.jp/crm/mainmenu/1-0-1.html

警告正確な内容に関しては上記のような正式な資料や中西先生の著書をご参照くださるように皆様には心よりお願い申し上げます。

[講演内容要旨]
環境リスク学研究の動機:
従来は「生態系を守ること=人間の健康を守ること」というイメージがあったが、実際には「人間の健康を守ること」と「生態系を守ること」は相反する面があるのではないか?

我々が長生きしていること自体が環境を壊している側面がある。

例えばDDTによる環境汚染。DDTは環境を汚染するが、マラリア制御には有効。そのため、DDTは全面禁止にはなっていない。人のリスク、生態のリスク、費用のバランスを考えなければならない。

そのような側面を考えると従来の環境科学が考えていたような指標では不十分なのではないか。

学生に最初に教えること:
「環境問題に正義感で立ち向かってはいけない。環境問題には科学で立ち向かうべきである。」

リスクとは?:
リスクはあるエンドポイントの生起確率。エンドポイントとは「どうしても避けたい影響」。例えば、「人の死」「オオタカが絶滅する」など。

従来のリスク表現:
1. ハザード比(HQ)での表現
ハザード比=一日容量/一日許容量
1以上→問題あり、1以下→問題なし

ハザード比には「閾値があり、それ以下ならば安全」という前提。閾値以下なら安全=「安全基準」という考えが背後にある。しかし、それで十分なのか?

たとえば、HQ=0.1とHQ=0.9には違いはないのか?安全基準の考え方に従えば問題ないはずだが、それは正しいか?

異なるリスクを比較する:
HQを確率的表現に変える。[この辺り難しくてちょっと理解できず。今後修正予定(矢野)]

一人一人には閾値があるが、人それぞれに閾値は違う。閾値自体が分布しているはずだ。

損失余命の導入:
リスクに曝されることによって失われる余命を損失余命という。損失余命という概念を導入することによって異なったリスクを統一的に評価することができるようになった(従来は死にいたる場合だけしかリスク評価に入れられなかったが、今ではそうではなくより広いケースでリスク評価が可能)。

また、その発想を生かして、ハーバード大学により1年分人の命を救済するための費用が算出されている。結果として費用対効果を考えて環境対策が考えられるようになる。

環境対策は費用対効果の高いものへシフトすべきなのではないか?

HQのように「安全か危険か」の2分法ではなく、領域を超えて定量的に比較できるようにすることが本当のリスク評価ではないかと考えている。

損失余命以外には最近では生活の質(QOL, Quality of Life)などの概念も使われるようになってきている。

極端な「安全主義」の弊害:
予防原則Precautionary Principle.

False Negative(危険の見落とし)とFalse Positive(過剰規制)の二通りの場合が考えられる。予防原則はFNをなくすことを原則としているが、FPが多くなれば莫大な経済負担や別のリスクが発生する。

予防原則の一般的な欠点は一つだけのリスクを問題にして、その不確実性が決定的な問題であるかのように扱うことである。

たとえば、BSEのリスクはとても小さいにもかかわらず、それを極端に恐れて最小化するように努力するために膨大なコストを費やし、他のリスクを増やしている可能性もある。

極端な安全主義の弊害→実際にリスクは複数ある。一つのリスクに着目しすぎてトータルのリスクを増加させてはならない。

科学的基準に基づかない環境規制は混乱を招く。リスク評価を基礎にした意思決定が必要である。

(文責 矢野浩一)