論理的な機械のように:CSIのグリッソム主任

アメリカのドラマでここ数年、視聴率トップ10以内を維持しているドラマに「CSI:科学捜査班」という番組がある。

CSIには様々な登場人物がいて、ファンはそれぞれの人物に思い入れがあるわけだが、私が特に好きな登場人物はグリッソム主任である。グリッソムは一応昆虫学の専門家ということになっているが、実際はただの昆虫オタクである。なにしろ一つ一つのハエに名前をつけるような男なのだ。おまけにいかにもモテなそうな独身中年、体型はお世辞にもスマートとは言いがたい。

しかし、このグリッソム、仕事をさせるとすごい。その仕事振りは、いつも感情を廃した科学捜査をする機械のようでもある。どんな難事件もあきらめずにコツコツと証拠を集め、事件を論理的に解析して犯人を逮捕する。

では、彼に感情がないかというとそういうわけではない。時折、事件が解決し、ドラマの最後に彼が夜中に一人だけでジェットコースターに乗る場面が写されることがある。その場面における彼は、普段の論理的な機械のような彼とは違い、その表情に犯罪者への怒りやいらだち、被害者への同情や悲しみ、仕事での苦悩を表している。

私は彼のそんな場面を見るのが好きである。彼の仕事と同じく、私たちの生活はいつも苦しみと悩みに満ちており、それらが終わる気配はどこにもない。しかし、いつも感情的になっては何も解決しないから、誰もが一時的に感情を廃して小さな問題にコツコツと対処している。

そして、彼の姿が私には今までの人生の中で出会ってきた人たちに重なるこことがある。彼の姿は私が今までに出会ってきた多くの人たちそのものであり、そういう人たちが世の中に少なからずいるということはなけなしの希望でもある。おそらく、これからも私はそんな多くの「グリッソム」たちに出会うのだろう。