生きながらヒーローになった男〜「超神ネイガー」を作った男〜

久しぶりの書評なので、今日は少し気軽な話題をw

今までに何度か取り上げたことのある「超神ネイガー」の話題です。

[受け継がれる『世代の記憶』]
僕は1970年に生まれました。今でもその同世代の友人が最も多いです。

あるとき、友人みんなでカラオケに行き、ある友人(男)がシャレで「ピンクレディー」の曲をリクエストしたとき、ちょっと驚きました。その場にいた女性のほとんどが示し合わせたようにピンクレディーのダンスを始めたのです(もちろん事前の打ち合わせなどはしていません)。

ピンクレディーとは1976年から1981年にかけて活躍したアイドルデュオです。

その場にいた僕と同世代の女性のほとんどがピンクレディーのダンスが出来るということは、当時のピンクレディーの人気の高さを物語っています。

1970年前後生まれの男性なら「機動戦士ガンダムファーストガンダム)」に夢中になった記憶があるでしょうし、萩本欽一の「欽ドン!」やドリフターズの「8時だョ!全員集合」を見た記憶がある人も少なくないに違いありません。

インターネットや携帯電話が発展し、テレビも地上波以外にもBSやCS、ケーブルが普及した今では人々の趣味や志向が多様化しています。そんな今となっては「テレビがほぼ唯一の大衆娯楽」だった時代のことは少し想像しがたいかもしれませんが、これらの記憶はその時期に子供であった人たちが共有する『世代の記憶』とでも言うべき物です。

さて、数年前の話、今となっては、それがどんな場所だったのか思い出せないのですが、なにかイベントでの出来事だったと思います。

そこには子供連れの家族が多く来ていて、一人で来ていた僕はとても居心地の悪い思いをしていました。

ある小さな男の子が、階段に上り(といっても子供なので2〜3段登っただけでまったく危険の高さ)、元気よく「へんし〜〜ん」と言いながら階段を飛び降りました。

特に何もすることがなく、その様子をぼーっと眺めていた僕は思わずつぶやきました。

仮面ライダー1号の変身ポーズじゃないか・・・・」

男の子のそばにいた男性(父親だと思われる)が振り返って、少し笑いながらまるで言い訳をするように言いました。

「この子は、1号が大好きでして・・・」

僕は少し不思議に思いながら、僕よりもずっと若いと思われるその父親に尋ねました。

仮面ライダー、最近、再放送でもしているんですか?あれは僕が子供の頃に放映していた番組で・・・」

仮面ライダー1号・2号がテレビで活躍していたのは1971年から1973年のことで、実は僕自身も物心ついてから再放送でしか見たことがありません。父親はにっこりと笑って答えました。

「DVDが出てるんですよ。最近の子供はDVDで昔の仮面ライダーを見ているんですよ。僕なんかよりずっと詳しいですよ。」

それを聞きながら僕は「なるほどこのようにして僕らの『世代の記憶』は受け継がれて行くのだな」と思いました。

[生きながらヒーローになった男たち]
ウルトラマン」の最初の放映が始まったのは1966年、「仮面ライダー」の最初の放映が始まったのは1971年、スーパー戦隊シリーズの第1作である「秘密戦隊ゴレンジャー」が始まったのは1975年です。

それらの番組出演し、「生きながらヒーローになった男たち」がいます。

たとえば、仮面ライダー1号本郷猛を演じた藤岡弘、氏は「仮面ライダー 本郷猛の真実」という自伝を出したことがあるのですが、実は番組を離れて現実世界でも「武士道を通して世界平和を目指す」という理想を掲げるなど、特撮番組のヒーロと同化したのではないかという人生を送っておられます。

それ以外にも僕が大好きな「怪傑ズバット」という番組で主役・早川健を演じた宮内洋さんは「今でも「子供達の夢を壊してはならない」と引き締まった肉体を維持するなど、己を厳しく律している」そうです。

ちなみに宮内さんと言えば、仮面ライダーV3であり、怪傑スバットであり、アオレンジャーでもある人で、僕が最も尊敬する俳優さんです。

[秋田を守る『超神ネイガー』]
さて、超神ネイガーは、「明日の秋田をダメにする」をスローガンに活動を続けるだじゃく組合と戦うため、農業に従事する青年アキタ・ケン(秋田県在住)が「豪石(ごうしゃく)」と叫ぶことで変身する姿です。

その勇姿は「超神ネイガー」公式サイトで見ていただければ分かると思いますが、全国ネットで放映されてきた多くの特撮ヒーローにまったく劣らない、極めて本格的なものです。
http://homepage1.nifty.com/nexus/neiger/

矢野が最初にネイガーを取り上げたとき(2006年)には正義の味方にはネイガーただ1人しかいなかったのですが、今では「ネイガー・ジオン」と「ネイガー・マイ」、「アラゲ丸」という仲間も増えて、順調に秋田をだじゃく組合から守るという活躍を続けているようです。

このネイガーを生み出した(そして、ネイガーをご自身で「演じて」いる)のがこれからご紹介する本の著者・海老名保氏です。

[生きながらヒーローになった男]
「奇跡のご当地ヒーロー「超神ネイガー」を作った男」は少年時代の海老名氏が特撮ヒーローとプロレスが好きだったという話から始まり、プロレス団体(新生UWF)に入門し、怪我でプロレスラーを断念せざるを得なくなるまで。そして、地元秋田に戻ってきてから超神ネイガーを生み出し、それを事業として軌道に乗せるまでが語られています。

特に興味深いのは、海老名氏が「自分が好きだったヒーロー」と「地元秋田の文化」を融合しながら、このヒーローを生み出して行く過程です。たとえば、ネイガーの名前はなまはげの「泣ぐ子(ご)は居ねがぁ」から取られているとか、ネイガーの仮面はなまはげをモチーフにしているなど。

また、その海老名氏と共にネイガーを作り出していく「仲間」の素晴らしいこと。高橋大氏を中心としたその素晴らしい仲間を持てた海老名氏のことをうらやましく思う人も少なくないと思います。

さらに、海老名氏が中心となる株式会社「正義の味方」では琉神マブヤーを始めとするご当地ヒーローの原案を作るという仕事も引き受けているとのことで、見事にキャラクタービジネスを軌道に乗せる様が語られています。

そして、この本の最後には、「海老名氏が超神ネイガーと同化する」瞬間まで語れています(海老名氏以外がネイガーを演じることはないそうです。なぜなら「ヒーローは一人しかいない」から)。

「奇跡のご当地ヒーロー「超神ネイガー」を作った男」というこの本のタイトルはあまり正しくありません。

この本を「地域おこしのためのビジネス本」だと思ってはいけません。この本には確かに「海老名流3理論」というビジネス本風な内容も含まれていますが、それは必ずしもこの本の本質ではありません。

この本は生きながら超人ネイガーというヒーローになった男ビルディングスロマンなのです。

年末年始の読書にいかがでしょうか?

奇跡のご当地ヒーロー「超神ネイガー」を作った男~「無名の男」はいかにして「地域ブランド」を生み出したのか~

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