畑農鋭矢、(2009)、「財政赤字と財政運営の経済分析」書評(第4回)〜財政赤字と財政運営の経済分析〜

さて、やっと畑農先生の著書を紹介する準備ができました*1。書評シリーズ第1回第2回第3回に続き、第4回です。

財政赤字と財政運営の経済分析―持続可能性と国民負担の視点

財政赤字と財政運営の経済分析―持続可能性と国民負担の視点

[構造パラメーターは安定か?]
2007年にFernandez-Villaverde and Rubio-Ramirezによる"How Structural Are Structural Parameters?"(構造パラメーターはどのくらい安定か?)という論文(以下、FR2007)が出版されました。

近年、動学的確率的一般均衡モデル(Dynamic Stochastic General Equilibrium Models, 以下DSGE)を用いたマクロ経済分析が流行しています。DSGEモデルが流行した背景には「合理的期待仮説」があります。第3回で少し解説しましたが、合理的期待仮説とは「家計は現在得られる情報を十分に活用して、将来のことを予測して行動する」という仮説です*2

この仮説が正しい場合、「家計の将来に対する予測が変化した場合はその行動も変わってしまう」ということになります。

そのため、この仮説が正しいと仮定した場合に、マクロ経済モデルに求められるのは、(1)将来に対する予測が明示的にモデルに組み込まれていること、(2)そのモデルは将来に対する予測が変わったとしても「変わらない何か」に基づいていなければならない、ということです。

その「変わらない何か」のことをDSGEモデルでは構造パラメーターもしくはディープパラメーターと呼んでいます。

FR2007は、モンテカルロフィルター(粒子フィルター)を用いて「構造パラメーターはどのくらい安定か?」を分析した論文です。FR2007の著者らは、いくつかの構造パラメーター*3景気変動と連動して変化しており、「安定だとは言いがたい」ことを発見しています。

補足:矢野自身が今年2月にディスカッションペーパーとして発表した"Dynamic Stochastic Equilibrium Models Under A Liquidity Trap And Self-Organizing State Space Modeling"(以下、Yano (2009))はFR2007の発想をさらに一般化して(1)潜在成長率などの自然率、(2)構造パラメーター、(3)GDPギャップなどの状態を同時に推定する方法を提案しています。その結論は「構造パラメーターには確かに構造変化が見られるが、FR2007が主張するほど不安定ではない」というものです。なお、今年9月30日に日銀から発表された「潜在成長率の各種推計法と留意点」には「DGEアプローチで潜在成長率自体を推計する試みは、筆者達の知る限り、日本経済に関する前例はない。」とありますが、これは事実誤認です(すでに今年の2月に内閣府からYano (2009)が発表されています)。この点については後日改めて取り上げたいと思います。

FR2007は2007年、Yano (2009)は2009年に発表されたものですが、それよりもずっと早い時期に構造パラメーターの安定性を推定した論文があります。

それが畑農先生の「財政赤字のマクロ経済効果−カルマン・フィルタによる中立命題の検証−」という論文です。

[財政赤字のマクロ経済効果]
畑農先生の「財政赤字のマクロ経済効果−カルマン・フィルタによる中立命題の検証−」(以下、畑農 (2004))は、Blanchard (1985)による連続型世代重複モデルに流動制約下の家計を加えたモデルの構造パラメーターをカルマンフィルターで推定する、というものです。第3回に紹介したOgawa (1990)と谷川 (1993)の発想を組み合わせて、さらに一般化したものだと言えます。

この論文の重要な貢献は(1)流動性制約下の家計の比率が時代によって変化している、(2)家計の公債負担に対する認識(つまり現在の政府の累積赤字を家計はどの程度自分たちの負担だと考えているか)が時代によって変化しているなどの発見があります。それ以上に素晴らしい点は、カルマンフィルターを用いた一般均衡モデル(連続型世代重複モデル)の時変推定を2004年時点ですでに行っていたという点です。

FR2007に先行すること3年、Yano (2009)に先行すること5年です(FR2007やYano (2009)はモンテカルロフィルター(粒子フィルター)を用いてDSGEモデルの時変推定をしている点で、手法的には新しいのですが、やっていることの本質は畑農 (2004)でほぼすべて尽きています)。

[「財政赤字と財政運営の経済分析」]
畑農鋭矢、(2009)、「財政赤字と財政運営の経済分析」(有斐閣)は畑農 (2004)などの畑野先生の多くの業績を元に書き下ろされた本です。

本は大まかに分けて以下の4つのパートに分かれています。(1)中立命題に関する論点の整理と先行研究のサーベイ(第2章、3章)、(2)畑農(2004)を元にさらに丁寧に書かれた流動性制約下の家計の比率や公債負担の認識割合、公的年金負担の認識割合などの研究(第4章)、(3)第4章のモデルを一般会計と公的年金財政の間で移転を許すように変更した場合の流動性制約下の家計の比率や公債負担の認識割合、公的年金負担の認識割合などの研究(第5章、6章)、(4)財政政策ルールに着目し、日本における財政政策が課税平準化と景気安定化のどちらが重視して行われてきたか(第7章、8章、9章)です。

この書評シリーズ第1回から第3回までを通じて皆さんに既にご説明してきたとおり、カルマンフィルターと時変係数モデルが本書を通じて採用されている統計手法です。この手法を用いることにより、「時代にって変化するパラメーター」を追いかけることができるので、時代によって日本経済が激しく変化してきたことを理解することができます。

以下に矢野が気がついた重要な分析についていくつか述べさせていただきたいと思います。

流動性制約下の家計の比率はやはり時代によって変化している(pp. 73とpp. 118)。その結論には矢野は全面的に賛成です。ただし、第4章の結果と第6章の結果はかなり違っています。第4章の結果は1950年代から近年に至るまで流動性制約下の家計が全家計の約6割を閉めているという結果ですが、第6章の結果では戦後すぐとオイルショック時と近年は3割程度が流動性制約下の家計ですが、高度成長期と1980年、流動性制約下の家計の比率は1割程度まで低下しているという結果になっています。第6章の結果は非常に直感的に正しいだろうと思うのですが、第4章の結果をどう判断すべきか矢野には分かりません。

特に第4章の結果が正しいとするとリカードの等価命題は日本では成り立っていない可能性が高いと言えます。第6章の結果でも、近年に限定してみると流動性制約下の家計の比率が増えているので4割から5割に増えているので、リカードの等価命題が成り立つとは言いがたいように思います。

それと非常に興味深いのは第4章と第6章で分析された公債負担の認識割合と公的年金負担の認識割合の結果です。こちらは第4章と第6章でほぼ同じ結果が出ていて、「公的年金負担の認識割合の方が公債負担の認識割合よりも大きい」という結果になっています。これは大胆に解釈すると「家計は『政府の累積赤字は他人事』だと思っているが、『年金の財政の方は自分の身に降り掛かる重要な問題だ』と思っている(傾向が高い)」ということになりそうです。

さらに財政政策ルールについては、第7章と8章で課税平準化ルールと景気安定化ルールのどちらが日本の財政策を説明するのに適しているかが分析されています。結果は課税平準化ルールでもある程度は説明できるが、景気安定化ルールの方がより説明力が高いとなっており、こちらも非常に実感に合う結果になっています。

第7章と8章の結果を踏まえて、第9章では財政政策ルールの安定性について分析されていますが、1990年半ば以降、景気に対する財政赤字の反応度が高くなっており、これは1990年代後半には日本政府が不況に積極的に財政出動で対応しようとした結果を反映していると思われます。

畑農(2009)に書かれている分析に矢野自身は必ずしも賛成ではない部分もありますが、本書を通じて非常に精緻な分析が行われているので、それに反対しようとすればそれだけで一つ論文を書かねばならない、というのが正直なところです。

本書を通読した感想を述べさせていただくと、財政赤字と財政政策について連続型世代重複モデルと流動性制約下の家計を基本にカルマンフィルターなどの統計学手法を大胆に応用した精緻な分析がなされており、この分野を論じる人のみならず、マクロ経済に興味のある方全般に学ぶことの多い本だと思います。

それだけではなく、FR2007やYano (2009)に対する先駆的業績であり、もっと多くの方にぜひ読んでいただきたいと矢野は切に願っています。

次回(最終回)、「あとがき、覚え書き、文献書き」

[参考文献]
Jesus Fernandez-Villaverde & Juan Rubio-ram, (2007), "How Structural Are Structural Parameters?," NBER Chapters,in: NBER Macroeconomics Annual 2007, Volume 22, pages 83-137 National Bureau of Economic Research, Inc.

畑農鋭矢、(2004)、「財政赤字のマクロ経済効果−カルマン・フィルタによる中立命題の検証−」『フィナンシャル・レビュー』第74号
http://www.mof.go.jp/f-review/r74/r_74_065_091.pdf

Tesfatsion, L., (2009), "Introduction to Rational Expectations," Lecture Note.
http://www.econ.iastate.edu/tesfatsi/reintro.pdf

Yano, K., (2009), "Dynamic Stochastic General Equilibrium Models Under a Liquidity Trap and Self-organizing State Space Modeling," ESRI Discussion Paper Series No.206.
http://www.esri.go.jp/jp/archive/e_dis/e_dis210/e_dis206a.pdf

*1:今さら自分で言うのもなんですが、なげーよ!・・・書いた本人なのにすみません。

*2:言うまでもなく大雑把な説明です。正確には参考文献のTesfatsion (2009)などを参照してください。

*3:具体的にはカルボパラメーターもしくはテイラールールのパラメーター