精神の貴族〜詩人・山之口獏/耳を澄まして君の心に聞け

アンジーことアンジェラ・アキ姉さんが「英会話学校AEONの社長令嬢」という報道を知って、詩人・山之口獏を思い出したので、今日は山之口獏を取り上げたいと思います(なぜアンジーと関係あるのかは最後まで読めば分かる・・・か?)。



精神の貴族〜詩人・山之口獏
第2次世界大戦は、世界中、日本国内のみならず、日本の詩人達にも大きな影響を与えことが知られています。というのは、詩人の多くが戦争に賛成し、戦意を高揚させるような詩を書いたからです(「戦争協力詩」といいます)。

詩人の高村光太郎などは終戦後、戦争協力詩を書いたことに対する自省の念から粗末な小屋を建て、晩年のほとんどをその粗末な小屋で過ごしたことで知られています。

第2次世界大戦中に戦争協力詩を書かなかった詩人は極めて少なく、矢野の知る限りではたった二人しかいません。

一人は反戦詩を書いていた「反骨の詩人」として知られる金子光晴。もう一人が今回の主人公である山之口獏です。

山之口獏(1903-1963)は沖縄出身の詩人で、19歳に沖縄から出てきた後はずっと東京に暮らしていました。

彼が死んだ後(1964年)に出版された詩集「鮪に鰯」には以下のような詩があります。

弾を浴びた島
島の土を踏んだとたんに
ガンジューイ*1とあいさつしたところ
はいおかげさまで元気ですとか言って
島の人は日本語で来たのだ
郷愁はいささか戸惑いしてしまって
ウチナーグチマディン ムル*2
イクサニ サッタルバスイ*3と言うと
島の人は苦笑したのだが
沖縄語は上手ですねと来たのだ

彼の生活ぶりを、今年の2月になくなった詩人の茨木のり子さんが「精神の貴族」という文章で以下のように記述しています。

獏さんを知っていた人たちは、みんな声をそろえて、かれのことを「精神の貴族」だったといっています。このことばがとても新鮮にひびくのは、「精神の貴族」といえるような人が、すくなくなり、それを目ざす人もまた、現代には見あたらないためでしょう。

獏さんは、ポケットに一文もないときだって、いい調子で唄い、「きょうはお金があるからごちそうしよう」というので、ついていってみると、いくらももっていなくて、ごちそうされるはずの人がごちそうすることになったりするのでした。それでも獏さんにおごった人は、逆に獏さんにおごられたような、まったく豊かな気持ちになったといいますから、まさに、現代の魔法でした。

獏さんは詩を書き、雑文を書き、講演し、テレビにもでていっしょうけんめい働きましたが、生活は楽になりません。一編の詩をつくるのに四年もかけるような潔癖さでは、採算がとれるはずもなかったのです。

生涯、借金につぐ借金で、首がまわらず、たいていの人なら、いじけてしまうところですが、獏さんはだれよりも貧乏したのに、心は王侯のごとしという、ふしぎな豊かさをますます自分のものにしていった人でした。そのみごとな心意気が、多くの人をひきつけずにはいなかったのでしょう。町で、飲み屋で、喫茶店で、新しい友だちがいっぱいできてゆきました。

山之口獏には泉という娘さんがおられ、彼の詩の中では「ミミコ」としてよく登場します。もしかしたら、国語の教科書で「ミミコの独立」という詩を読んだことがある人もいるかもしれません。

ミミコの独立
とうちゃんの下駄なんか
はくんじゃないぞ
ぼくはその場を見て言ったが
とうちゃんのなんか
はかないよ
とうちゃんのかんこをかりてって
ミミコのかんこ
はくんだ と言うのだ
こんな理屈をこねてみせながら
ミミコは小さなそのあんよで
まな板みたいな下駄をひきずって行った
土間では片隅の
かますの上に
赤い鼻緒の
赤いかんこが
かぼちゃと並んで待っていた

山之口獏は自分の詩を何度も繰り返して推敲するため、詩が極めて少なく、生前に三冊の詩集(「思弁の苑」、「山之口獏詩集」、「定本山之口獏詩集」)が出版されているのですが、実は「山之口獏詩集」は「思弁の苑」を推敲したもので、「定本山之口漠詩集」は「山之口獏詩集」を推敲したもの・・・えーっと要は実質的な詩集は一冊分しかありません。

その徹底した推敲ぶりはなかなか理解されなかったようで、彼自身が以下のような詩を残しています。

ひそかな対決
ぱあではないかとぼくのことを
こともあろうに精神科の
著名なある医学博士が言ったとか
たった一篇ぐらいの詩をつくるのに
一〇〇枚二〇〇枚だのと
原稿用紙を屑にして積み重ねる詩人なのでは
ぱあではないかと言ったとか
ある日ある所でその博士に
はじめてぼくがお目にかかったところ
お名前はかねがね
存じ上げていましたとかで
このごろどうです
詩はいかがですかと来たのだ
いかにもとぼけたことを言うもので
ぱあにしてはどこか
正気にでも見える詩人なのか
お目にかかったついでにひとつ
博士の診断を受けてみるかと
ぼくはおもわぬのでもなかったのだが
お邪魔しましたと腰をあげたのだ

ミミコさんは「沖縄県と父・など」という文章で以下のように書いています。

父が死んだ後には、私も、父を気の毒に思ったのである。四十年の詩人生活を通じて、出版された詩集は、たった三冊。それも、中身は、殆ど一冊の本と言って良いのである。

(中略)

父にとって、詩集を出すということは、何にも増して重要なことだったし、だからこそ、心から満足のゆく出し方ができるまで、どれくらい長くかかろうとも、粘り続けるつもりだったに違いないのである。その前に早い死が訪れようと、気に染まない本を出してしまことに比べたら、何程のことがあろうか。と、今では私も考えている。

しかし、実際に生活は苦しかったようで、「鼻のある結論」という詩で以下のように書いています。

鼻のある結論(抜粋)
またある日
僕は文明をかなしんだ
詩人がどんなに詩人でも 未だに食はねば生きられないほどの
それは非文化的な文明だった
だから僕なんかでも 詩人であるばかりではなくて汲取屋をも兼ねていた
僕は来る日も糞を浴び
去く日も糞を浴びていた
詩は糞の日々をながめ 立ちのぼる陽炎のように汗ばんだ

さて、そんな山之口漠の娘として育ったミミコさんは後に「お墓の中の私のパパ」という文章で以下のように書いています。

貧乏だったからこそ獏さんはよい詩が書けたのだという人がいます。そういう人はたいてい最後につけ加えます。人間、金をもっちゃおしまいだと。

たぶんその人はぎりぎりの貧乏に追いつめられたことがないのだろうと、私はいつも考えます。だってお金はないよりあるほうが良いのです。たとえそれをもつものが詩人であろうと絵描きであろうと、お金がたくさんあるのにこしたことはないのです。それなのに貧しくない芸術家を軽蔑してみせる人は意外に多いようです。おかしな話だと思います。

だって、それこそ、芸術がお金に左右されるものでないということを、人は昔からちゃんと心得ていたはずではなかったでしょうか。貧乏詩人というと、ただそれだけで好意を示すような人にかぎって、芸術は神聖だ、などとつぶやくので私はとまどってしまうのです。

芸術家と呼ばれる人々も、他の人とおなじようにお金をもつべきだと思います。お金をもったら消えてしまうような作品のきびしさは、きびしさではありません。

再び、茨木さんの文章から山之口漠の葬儀に関する記述を引用して終わりたいと思います。

(山之口漠の葬儀の)五百人の参会者のなかには、飲み屋のねえちゃん、靴みがきのおっさん、ツケのたまっていた喫茶店のマダムなどもはいっていて、この愛すべき詩人−だれよりも貧乏なのに現代日本のどんな金持ちよりも豊かに、ぜいたくに生きた、まったくふしぎな獏さんを、なごり惜しく、涙ながらにおくったのでした。

皆さんもこの夏、山之口漠の詩集を読んでみませんか?

[参考文献]
山之口貘 (1988)「山之口貘詩集」思潮社

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4783708401/
茨木のり子さんの文章、ミミコさんの文章ともにこの詩集に掲載されています。推薦します。

[その他の本]
山之口貘 (1999) 「山之口貘詩文集」講談社文芸文庫

http://www.amazon.co.jp/gp/product/406197663X/

[補足] 耳を澄まして君の心に聞け
さて、アンジェラ姉さんが実は「英会話学校AEONの社長令嬢」だったという話ですが、正直に言うとそれ自体はどうでも良いことなのではないかと思います。

アンジーについては、貧乏だったのか金持ちだったのか、またその出自がどうであるかではなく、ただ耳を澄まして彼女を歌を聴き、それに価値があるかどうかはあなたの心に聞けばいいのではないかと思います。

[参考] 歌手のアンジェラ・アキ英会話学校AEONの社長令嬢だと判明
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/761902.html

*1:お元気か

*2:沖縄方言までもすべて

*3:戦争でやられたのか