中野南公園関係

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(「中野南公園って何だよ?」と思った人のための補足)
2006年1月17日の朝5時46分で阪神淡路大震災からちょうど11年になります。震災当時、矢野は大学院の修士1年で、大阪府北部(北摂といいます)の蓑面市(「みのう」と読みます)に住んでいました(大学[院]は豊中市待兼山という所にあります)。

滅茶苦茶になった自分の部屋を片付けたり、研究室を片付けたりし終わってから、矢野が他の学生たちと神戸市東灘区に入ったのは2月2日のことです。場所は東灘区本山という場所にある小学校でした。

当時そこは避難所になっており、多くの方たちが避難していました。そして、矢野は3月末にボランティア本部が閉鎖されるまで、2ヶ月ほどをボランティアの一人としてそこで暮らすことになります。

それ以来その地の住民の方たちとボランティアの間には交流があり、毎年1月の17日の直前の日曜日にみんなで集まっています。集まる場所は小学校が使えないので、小学校の近くの中野南公園というところです。

昨日(15日)に矢野はその中野南公園に行って多くの人たちと1年ぶりの再会を果たしたのですが、その中で「Blog見てます」と言ってくれた人がいたので、このエントリーを作ってみました。