主観的に決められた有意水準

いつもマイナー小ネタばかり書いていると、真面目なことは何もしていないように思われてしまいかねないので、たまには少し専門に関係することも。

統計学には仮説検定という手法があり、その中で重要なことに「有意水準」という考え方があります。多くの場合、有意水準としては5%が使われることが多いのですが、研究者によっては1%だったり10%だったり、えーーーっとまあ、早い話が人によって採用する有意水準には違いがあります。

「なぜ、人によって採用する有意水準が違うのか?」なのですが、それは実は有意水準は現代統計学の生みの親であるR. A. Fisher*1によって主観的に決められたからです。

このことは統計学者の間ではよく知られた事実です。たとえば、統計学者・赤池弘次の「統計とエントロピー」(数学セミナー[1982])などでは「(赤池情報量規準を使えば)0.05等のような有意水準と呼ばれるような主観的な要素は不要」とまで断じられています。

先日も芝村良「R. A. フィッシャーの統計理論」(九州大学出版会[2004])のpp. 51に「今日においては、有意水準は5%および1%に設定されることが慣例となっているが、(中略)そうした有意水準の設定の根拠がフィッシャーによってconvenientやpreferという主観的な表現を用いて説明されていた」とはっきりと指摘してあるのを見つけました。

たまに有意水準をめぐって「5%が当然だ」「いや、うちでは1%だ」「10%にしてくれ」などという議論を見かけます。有意水準をどこにおくかは主観的に決まっているので、どれも間違いではありません。

「主観で決まるなんて科学としては気持ち悪い」と思う人はなるべく仮説検定を使わずに、いくつかある代替手法(信頼区間赤池情報量規準ベイズ理論など)のどれかを用いれば良いのではないかと思います。

*1:ほぼ同時代のひとですが、経済学者のIrving Fisherとは別人です。