現代日本とアシモフの「ファウンデーション」

昨今の政治情勢を見ていてアシモフのSF連作「ファウンデーション・シリーズ」の第1巻の訳者あとがきを思い出した(注:当blogの「ハリ・セルダン」とはSF作家アイザック・アシモフファウンデーション・シリーズ中の登場人物。詳しくは山形さんのハリ・セルダン紹介ページを参照):

アシモフファウンデーション」[ハヤカワ文庫]訳者あとがきから)
これはファウンデーション・シリーズの第1巻である。この物語を読んでいると、現在の日本とそれを取り巻く世界の状況が、奇妙に二重写しになって見えてくる。銀河系の最果てにある、天然資源をまったく持たない、孤立した小さな惑星ターミナス。そこには軍備はほとんどなく、科学技術だけを頼りに、便利な日用品を生産して近隣の諸国に売り込み、それで支配権の拡張を図っている。それに対して強大な軍事力を背景にし、巨大な規模でしか物を考えることができず、巨大なものしか作ることのできない銀河帝国およびその残党は、どうしても勝つことができないのである。
(中略)
アシモフは現在の日本を見て書いたのではないかという錯覚さえ起こしかねない。ところが、驚くべきことに、このシリーズの最初の部分は1942年から1949年にかけてアスタウンディング誌に分載されたものだから、これが書きはじめられたのは太平洋戦争のまっ最中で、まだ軍国主義を廃棄して貿易立国を図る日本は生まれていなかった。エコノミック・アニマルの日本よりもこの物語の方が先なのである!案外戦後日本の指導者のなかにSF好きな、さばけた人がいて、この物語をひそかに読んで参考にしたのではないかという、愉快な空想さえもわいてくるほどである。
(引用ここまで)

この文章が書かれたのは1984年、今から20年以上前だが、今でもまったく古びた感じがしない。そして、これを読み返していて現在の日本は歴史上、最も「惑星ターミナス」に近い存在なんだなぁと思って一人笑いがこみ上げてきさえする(資源がないとか、便利な日用品を近隣諸国に売りつけているとか、日本はまさに惑星ターミナスにそっくり)。

戦後60年なのでここ60年の日本を反省する人も少なくないようだが、僕個人はこの国の60年をそれなりに気に入っているし、第2次大戦後、一度も戦争をせずほとんど資源がないにも関わらず豊かな現在の日本を世界に比類ない国だと思う(その点に関して日本人はもっと誇りを持って良い)。そして、僕はこれからも日本はできる限り「惑星ターミナス」のようであって欲しいと願っている(実際には現実世界はSFのようにはうまくは行かないわけだけど)。