連邦主義者〜実名・匿名論争に関する私的見解と統計分析の考え方〜

[我らは日々、嵐に立ち向かう]
さて、我々の生活は常に困難に満ちています。

(事例その1)満員電車の中で突然、お腹が痛くなったのに、事故で電車が止まってしまったり(しかも、駅に到達する直前に!)、
(事例その2)明日定期テストなので一夜漬けをしようと思ったがうっかり寝てしまって、起きたらすっかり朝だったり、
(事例その3)通貨発行権を国民から付託されているはずの中央銀行がデフレになったらその職務を放棄し、「いや、我々はもう出来る事はありません」と言張ったり・・・
そう、困った事に我々の生活は常に困難に満ち満ちていますね・・・

僕はそんな中でも、いつも出来る限りユーモラスな回答を求めています・・・いや、まあ、そんな都合のいいものが得られるかどうかはまた別の話ではあるんですが・・・回答がないにしても日々の生活はユーモラスであってほしいといつも思っています。

[実名と匿名と]
インターネット上で(blogやtwitterなどを使って)意見を表明する時に「実名で行うべきか」「匿名でもOKなのか」はしばしば大きな論争になります。

矢野は皆さんご存知の通り、実名で長らくやって来ましたし、今後も実名のままでblogもtwitterも続けて行く気なのですが、他の人たちはどうすべきなのでしょうか?

「ずっと実名で頑張って来て、時にはひどく叩かれたりした(通称「ノビー騒動」)から、矢野は『実名推進論者』なんじゃねーの」ですって?

いや、あにはからんや、実は僕は「匿名で意見を述べる権利はある程度までは擁護されるべき」だと思っています。今日はその件に関するお話をさせていただきます。

[連邦主義者]
アメリカ合衆国憲法を学ぶ時にどうしても避けられない文書「連邦主義者(the Federalist)」という全85編の論説があります。これは1787年から1788年にかけてパブリウスという匿名でニューヨークの新聞に掲載されたもので、当時まだ発効されていなかったアメリカ合衆国憲法が無事に発効されるように反対派の人々を説得するために書かれたもので、「連邦政府に関して現存する、最も示唆に富む論文集」(ジョン・ステュアート・ミル)と言われたほどのものだそうです。

実は在日米国大使館の公式ページには現在でも「連邦主義者(the Federalist)」についての説明があるくらいです(参考文献のリストもご参照ください)。

[書いたのだぁ〜れ?]
この「連邦主義者」はアレクサンダー・ハミルトン(のちの初代財務長官)、ジョン・ジェイ(のちの初代最高裁長官)、ジェームズ・マディソン(のちの第4代大統領)の3名によって書かれた事が広く知られています。

さらに85編のうち、51編がハミルトン、5編がジェイ、14編がマディソン、3編がハミルトンとマディソンの共著であることが知られています。

え?残りの12編はどうしたって?

それが問題です。実は残りの12編については、ハミルトンは「自分が書いた」と主張し、マディソンは「自分が書いた」と主張して、現在に至るも「一体誰が書いたのか?」については決着を見ていません。

[秘密指令:著者を特定せよ!〜統計分析の考え方〜]
さて、こんな時にはどうすべきでしょうか?・・・はい、もちろん統計学の出番ですね!

たとえば太郎君と次郎君という2人の人がいて、二人がしゃべった事を紙に逐語録にした場合を考えましょう。

太郎君「えーっと、昨日は、朝起きて、歯を磨いて、えーっと、ズームイン朝を見て、えーっと電車に乗って、会社に行ったらあの〜会社は休みでした」

次郎君「あの〜、昨日は、朝起きて、歯を磨いて、あの〜、めざましテレビを見て、あの〜電車に乗って、会社に行ったら、えーっと会社は休みでした」

見れば明らかなように太郎君の話には「えーっと」が多く、「あの〜」は一回しか出てきませんが、逆に次郎君の話には「あの〜」が多く、「えーっと」は一回しか出てきません。

さて、ここで「太郎君か次郎君がしゃべったことをそのまま逐語録にしたのだが、どちらの話だったか分からなくなってしまった」文書があったとしましょう。

さあ、もう分かりますね!もし「えーっと」が多ければ太郎君の逐語録、「あの〜」が多ければ次郎君の逐語録の「可能性が高い」と判断すれば良い訳です。

もちろん実際の文章の分析は非常に難しく、こんなに簡単な訳ではありませんが、このような考え方をより洗練されたものとして行っているに過ぎません。

[MostellerとWallance]
MostellerとWallanceという2人の統計学者は1963年の論文でこの考え方に基づき統計学を用いて「12編を一体誰が書いたのか?」という謎に挑みました。

たとえば彼らはハミルトンとマディソンが書いた様々な文章を分析し、「uponを使う確率はハミルトンは千分の三だが、マディソンは六千分の一、toはハミルトンはよく使うが、逆にマディソンはbyを使う傾向がある」などと言った点に着目し、判別分析という手法を用いて「1編については疑問があるものの、残りの11編はマディソンの作である可能性が高い」と結論づけています(余談ですが、MostellerとWallanceはその後も研究を続け、後年(1984年)、ベイズ統計学を用いてこの問題に再度挑んでおり、彼らの研究は今ではこの分野の基本文献となっています)。

[計量文献学]
「へえ、面白い話だなぁ。こういった研究についてもっと知りたいなぁ」と思われる人もいらっしゃるかもしれません。

この分野は、様々な文献を多変量解析などの統計学の手法を用いて分析するもので、「計量文献学」といいます。この分野については村上征勝「真贋の科学―計量文献学入門」という非常に面白い本があるので、興味のある方にはぜひご一読をお勧めします。(実際このエントリーの記述のほとんどはこの本と村上(1997)に寄っています)。

真贋の科学―計量文献学入門 (行動計量学シリーズ)

真贋の科学―計量文献学入門 (行動計量学シリーズ)

[匿名で発言する権利の擁護と若干の留意点]
さて、最初の話題「インターネット上での匿名での意見表明は是か否か」という話題に戻りましょう。

ハミルトン、ジェイ、マディソンは当時からすでにアメリカ合衆国憲法発効の推進側におり、それを隠すためにパブリウスという匿名で「連邦主義者」を書いた訳ですが、当時の情勢(当時、アメリカ合衆国憲法の発効については反対論も強かったようです)から言えば無理からぬことだったようです。

しかし、「連邦主義者」は今では「アメリカ合衆国憲法を語る上では書かせない文集」と言われているそうですから、匿名にもそれなりの有用性はある訳です。

今、インターネット上で書かれている多くの匿名の文書にも後世に「重要文書」と言われるものがないとも限りません。

という訳で、僕は「匿名で意見を述べる権利はある程度までは擁護されるべき」だと思っている訳です。

ただ、匿名でインターネット上で意見を表明しておられる方にはお願いがあります。あなたの死後で構いませんので、「誰が書いたか」が分かるように手はずを整えておいていただけないでしょうか?

可能であれば、ぜひともそうしていただきたいと思っています。そうでなければ、百年後の歴史家や統計学者達が統計分析に頭を悩ませる事になってしまうに違いありません。

[参考文献]
在日米国大使館「憲法の説明 ― フェデラリスト・ペーパーズ
在日米国大使館「ザ・フェデラリスト第10篇
村上征勝、(1994)、「真贋の科学―計量文献学入門」(朝倉書店)
村上征勝、(1997)、「計量文献学の歴史と課題」、計算機統計学 9(1), 65-74, 1997-05-30.