米国で深まるリフレ政策論争〜マンキュー教授の「マイナス金利政策」提言への解説〜

[お断り]当blogに書かれた内容はすべて矢野個人の意見であり、矢野が所属するいかなる組織とも関係ありません。

NY Timesにマンキュー教授が「マイナス金利」政策について論じた記事が出ました。

Economic View - It May Be Time for the Fed to Go Negative - News Analysis - NYTimes.com
http://www.nytimes.com/2009/04/19/business/economy/19view.html

内容は当blog読者の皆さんにはおなじみの

  1. 不況というのは人々が現金を抱え込んでしまって、それを消費したり投資したりしてくれないことが原因の一つである。
  2. 通常の場合であれば、中央銀行が短期名目金利を低下させることによって、それを回避して景気を回復させることができる。
  3. しかし、今回の経済危機においては中央銀行アメリカではFRB)が短期名目金利をゼロにしてもまだ足りないようなので、何らかの形で『マイナスの期待実質金利』を実現しないといけない

という話です。

この問題に関するNew Keynesian, Dynamic Stochastic General Equilibriumモデルを用いた最も有力な回答の一つは「インフレターゲットを実行する」ですが、マンキュー教授はこの記事で「中央銀行が0から9の数字をランダムに選んで、紙幣番号の下一桁がその数字に該当するものを無効にする」という形での「マイナス金利」を提唱しています。

要は持っている紙幣の10枚うちの1枚がランダムに無効になってしまうので、みんな無効になる前に消費に使ったり投資に使ったりするだろう・・・ということですね。

マイナス金利に関しては日本でも非常に早い時期から深尾光洋教授が提案してこられましたが、リフレ政策の中でも有力な手法の一つですね。

ただし、矢野は個人的にはインフレターゲット政策を用いた「マイナスの期待実質金利」の方が実現が容易なのではないかと思っています。

この記事でマンキュー教授自身がこう述べています。

FRB議長のベン・バーナンキはより高めのインフレ率を公約するにはうってつけの人物だ。というのはバーナンキインフレターゲットをずっと推奨してきた人物だからだ。かつてインフレータゲットが推奨された理由はインフレ率が決められた範囲から逸脱しないよう維持できることがメリットとして挙げられていた。しかし、現在の状況では「マイナスの期待実質金利」になるため十分なインフレ率を作り出すことが目標になるだろう。
Economic View - It May Be Time for the Fed to Go Negative - News Analysis - NYTimes.com
http://www.nytimes.com/2009/04/19/business/economy/19view.html

「十分なインフレ率を作り出すこと」(人為的インフレ政策)というのはちょっと奇妙に感じる人も少なくない(時には非常に感情的に否定される方も少なくない)政策ですが、1998年のクルーグマン教授の有名な論文以降、マクロ経済学者の中で真剣に検討されてきた内容で、New Keynesian, Dynamic Stochastic General Equilibriumモデルというマクロ経済学でよく用いられるモデルを使って、実証的な分析も多くなされてきたものです(ささやかですが、矢野自身も論文を書いています)。

マンキュー・クルーグマン両教授以外では、ケネス・ロゴフ ハーバード大学教授が同じような提案をしています。

大恐慌を防ぐにはインフレ政策しかない――ケネス・ロゴフ ハーバード大学教授
http://www.toyokeizai.net/business/international/detail/AC/829d806c1f49099efa0cc0578e4619f5/

さて、記事がちょっと刺激的だったようで、マンキュー教授は自分のblogで二つのフォローをしています。Greg Mankiw's Blog: Observations on Negative Interest Rates
http://gregmankiw.blogspot.com/2009/04/observations-on-negative-interest-rates.html

Greg Mankiw's Blog: More on Negative Interest Rates
http://gregmankiw.blogspot.com/2009/04/more-on-negative-interest-rates.html

それとこれらの記事に対してクルーグマン教授が早速blogで反応していましたので、そのエントリーを訳してみました。

インフレが正しい答か?(Is inflation the answer?)

グレッグ・マンキュー曰く、「イエス(矢野注:インフレ率を高めに誘導するリフレ政策が正しい答だ)」。10年以上前に日本について考えたときに私が到達した意見も同じだったので、私も原理的にはそれが正しいと言わざるを得ない。

しかし、今のところ、それがうまくは働かないーー少なくともまだ現時点では:我々は中期にわたって適度に高めのインフレを実現するように信頼のおける公約をどう実現すべきかについて議論してきた。しかし、現在に至っても有力な中央銀行当局者たち(矢野注:コーン連邦準備制度副議長[現職]とヴォルカー元連邦準備制度議長[現オバマ大統領経済回復諮問委員会委員長]を示す)がFRBの2%のインフレターゲットさえも否定的である。

もう一度言うと、インフレーションを起こすという公約は信頼のおけるものでなければならない。そして、今のところその準備はできていないと思う。少なくとも現時点ではまだ。
Is inflation the answer? - Paul Krugman Blog - NYTimes.com
http://krugman.blogs.nytimes.com/2009/04/19/is-inflation-the-answer/

要は「マンキューの意見には基本的には賛成だけど、コーンやヴォルカーという有力者が否定的なので、『まだ時期尚早』」という内容ですね(このクルーグマン教授のエントリーを「クルーグマンは自説を撤回した」と解説している方を見つけましたが、「現時点ではまだダメだ」と言っているというのが正しい理解だと思います。そして、こういう時には「財政政策を使え」というのがクルーグマン教授の1998年からの一貫した主張です)。

このクルーグマン教授の意見は「日本の失敗」(せっかく金融緩和政策を実行しておきながら、自分たちで「この政策は効果が薄い」と喧伝して回って、政策の効果を減じてしまった日銀の失敗)について非常に良く研究していると思います。マンキュー教授はクルーグマン教授よりもその点に関して楽観的だという気がします(マンキューのバーナンキ議長に対する信頼が厚いというべきかもしれません)。

アメリカでリフレ政策論争が活発になることによって、日本でもリフレ政策への理解が高まるといいなと思っています。

[参考になる記事]
マンキュー:リフレ政策(or 物価水準目標政策)のすすめ(hicksianの経済学学習帳)
http://d.hatena.ne.jp/Hicksian/20081218#p1

クリスティーナ・ローマー:大恐慌からの教訓 - P.E.S.
http://d.hatena.ne.jp/okemos/20090311/1236779735

クルーグマンへの公開書簡 - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090302/sumner_krugman

リフレ反対論者は縛り首にすべし - himaginaryの日記
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090209/knzn_reflation

コント:ポール君とグレッグ君(himaginaryの日記)
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20090101/paul_and_greg

[関連エントリー]
【社会人の新常識】クルーグマンインフレターゲットのススメ」(入門編)
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20090103/p1

クルーグマンインフレターゲットのススメ」(資料編)
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20090124/p1

リフレ政策の予感(ただし米国で)
http://d.hatena.ne.jp/koiti_yano/20081207/p1