不況になったら(不本意でも)金利を下げなければならない理由〜ニューケインジアン的な回答〜

Krguman先生受賞記念で書いてみました(半分くらいは後期の講義用に準備した内容ですが・・・)。

[お断り]
当Blogで述べられている意見はすべて矢野個人のものであり、矢野が所属するいかなる組織とも関係ありません。すべてあくまでも矢野の個人的な見解です。

[お願い]
残念ながら、矢野はあまり初心者向けの解説は得意ではありません。分かりにくい点が多いと思いますので、質問等がありましたら、トラックバックはてブ経由でいただければできる限りお答えできるように努力します(お約束はできませんが)。

(対象読者)
「毎日、一生懸命働いているのに、給料は上がらない。それどころか会社の業績が悪くなっているので、給料が下がるかもしれない。」「スーパーに行くと毎日物価が上がっていて、生活が苦しい」「それなのに銀行の預金は金利がスズメの涙ほどで、ちっとも増えやしない」「そんな中でエコノミストなんてクズ野郎どもが『不況になったら金利を下げなければいけない』なんて言っている」「冗談じゃない!」「ただでさえ生活が苦しいのに、さらに金利まで下げるなんてとんでもない!」

(読み方)
長い文章なので、(ポイント)の部分だけ読んでも一応、大筋は分かるように考えて書いてある。

[経済は循環している!(その1)]
(ポイント)経済は家計や企業や様々な市場などがお互いに関係し合い、いわば「循環」して成り立っている。

以下の図は僕がある大学の学部1年生向けの経済学入門の講義用に作ったマクロ経済の関係図(政府と中央銀行をのぞいた簡略化版)である。と言っても別にこれは僕のオリジナルじゃなくて、スティグリッツ・ウォルシュ「マクロ経済学<第3版>」(東洋経済新報社)のpp. 42に全く同じ図が出てくる。さらに言うと、これと似たような図は多くの経済学入門教科書に出てくるので、スティグリッツ・ウォルシュの独創という訳ではないのだが、マクロ経済を理解するのにこれほど役に立つ図はない。
(クリックで図が大きくなります)

この図を見て分かることは「経済は循環している」ということだ。

人々は働いて、給料を得て、何かを購入・消費する。企業は、働いた人に給料を払い、作った何かを人々に販売する。人々は給料の中で使わなかった分を貯蓄して、貯蓄は企業の投資資金に周り、企業は投資してより良い製品やサービスを提供する。そして、人々は働いて、給料を得て、何かを購入・消費する。企業は、働いた人に給料を払い・・・(以下略)

だから、マクロ経済について論じたいと思ったら、この「経済は循環している」という事実を忘れてはいけない。以下では、マクロ経済で重要な小さな部分に分解して、少しずつ解説したいと思う。

[貯蓄のパラドックス]
(ポイント)人々は働いて得た給料を消費と貯蓄に振り分ける。不況においては人々は消費を減らし、貯蓄を殖やそうとし、それが経済を苦境に陥れる。

多くの人が毎日働いて、そして月々の給料をもらう。その使い道が問題だ。非常におおざっぱに言って二つの選択肢がある:「消費する」もしくは「貯蓄する」。つまり

給料=消費+貯蓄

皆さんが、どれだけ消費し、どれだけ貯蓄するかの選択が多くの場合、経済の動向を決めている。

さて、ここにメナード・ケインズが最初に提唱した「貯蓄のパラドックス」と呼ばれる現象が知られている。

多くの人が不況になると、「今年のボーナスが減らされるんじゃないか?」とか「会社の業績が悪いから、リストラされるのではないか?」と考え、貯蓄を殖やすのは自然な気持ちだといえるだろう。しかし、不運なことにその「人間として自然な気持ち」が経済を苦境に陥れる。

すでに述べたように「経済は循環している」。人々が消費を減らし、貯蓄を殖やすということは企業の売り上げが減少するということだ。企業業績が悪化すれば、働く人の給料が減り、より悪い場合にはリストラで職を失うことになる。その危険が増せば、多くの人は将来に備えてさらに消費を減らし、貯蓄を殖やし、そして、企業の売り上げはますます減っていく・・・

人々が、自分自身の生活を守りたいという自然な気持ちが、その人たちの生活を苦境に陥れてしまう。これを「貯蓄のパラドックス」という。

だから、不況から脱出するためにはこの「貯蓄のパラドックス」を打ち破らなければならない。

[金利(1):その不可思議なるもの]
(ポイント)今、お金を預けても金利の満額は1年後にならないと受け取れない。逆に今お金を借りると1年後には金利をつけて返さなければいけない。いずれにしても1年間の期間があり、そのため「予想*1」が重要になる。

金利には1つ重要な性質があり、今、お金を預けても金利の満額は1年後にならないと受け取れない。逆に今お金を借りると1年度には金利をつけて返さなければいけない。1年後ということは、預ける人にとっては金利は「来年も無事に生きていたら得られるだろうと予想できる利益」ということになる。つまり金利を考えるときには常に「予想」が重要になる。

[金利(2):名目と実質]
(ポイント)金利を考えるときに重要なポイントは「名目金利」と「予想実質金利」の2つの金利が存在するという点であり、特に「予想実質金利」が大きな力を持っている。

お金の貸し借りをするときに表示される金利はほとんどの場合「名目金利」だが、経済学的には名目金利ではなく「実質金利」の方が重要だと考えられている。実質金利とは名目金利からインフレの効果を取り除いたものである。なぜインフレの効果をのぞく必要があるかというと、「インフレ」とは「お金の価値が下がること」であるため、名目金利から下がったお金の価値分を除かないと「実質的に手に入った金利=実質金利」が分からないためである。

つまり金利の「1年後にならないと受け取ることができない」という性質を考えに入れると1年後の実質金利は「来年になったら得られるであろう予想」実質金利を意味していることになる。以上のことをまとめると予想実質金利は以下の式で表すことができる。

予想実質金利名目金利−予想インフレ(これから1年のインフレ率の予想)

という関係が成り立つ。

[企業の行動:将来への投資]
(ポイント)企業は激変する世界で生き残るために将来に向けて投資を行う。予想実質金利が低下すれば投資は増える傾向がある。

まず企業の行動から考えてみよう。多くの企業が製品を作って消費者に販売したり、何らかのサービスを提供して売り上げを得ている。その多くの企業はそれらの仕事と同時に、「来年以降にどうすべきか」を常に考えている。

もちろん、「来年も今年と同じように企業活動を行う」という判断もあり得るだろう。しかし、激変する時代に生き残るためには多くの企業は「来年以降にさらに新しい製品やサービスを生み出す」工夫を余儀なくされることが多い。いや、むしろそういう工夫ができない企業はどんどんと業績が悪化して、市場から追い出されていくというのが現状だろう。

そのため、企業が来年以降のために何らかの投資をしなければならないわけだ。

つまり、「予想実質金利が上昇すれば、企業は投資を控える」傾向があり、「予想実質金利が低下すれば、企業は投資を増加させる」傾向があるということになる。

[個人の行動(1):所得効果]
(ポイント)予想実質金利が上昇することで「より豊かになった」と感じた人々が将来の消費だけでなく現在の消費も増加させることを「所得効果」という。

予想実質金利が上昇することで「より豊かになった」と感じた人々が将来の消費だけでなく現在の消費も増加させることを「所得効果」という。

[個人の行動(2):消費の異時点間選択]
(ポイント)予想実質金利が上昇することで現在の消費を減少させ、貯蓄を殖やし、将来の消費をより増やそうという行為を消費の異時点間選択という。

予想実質金利が上昇することで現在の消費を減少させ、貯蓄を殖やし、将来の消費をより増やそうという行為を消費の異時点間選択という。

[個人の行動(3):消費は増える?減る?]
(ポイント)予想実質金利が上昇したときには人々は消費を減らして貯蓄を殖やし、予想実質金利が低下したときには消費を増やして貯蓄を殖やす傾向がある。
ここまでの話で予想実質金利が上昇した場合、個人は(1)消費を増やす、(2)消費を減らして貯蓄を増やす、の2つの効果があることが分かった。

では、どちらの効果が強いのだろうか?

その答えは実証分析をすれば得られるわけだが、先行研究によれば「(2)消費を減らして貯蓄を増やす」効果の方が強いことが分かっている。

逆に言えば、「予想実質金利を下がれば、消費が増えて貯蓄が減る」わけだ。

[経済は循環している!(その2)]
(ポイント)現代マクロ経済学での不況対策で最も重視される政策は「予想実質金利を低下させて、個人の消費と企業の投資を増加させる」である。

さて、また最初の「経済は循環している!」という点に戻ろう。

「循環している」経済が不況に陥った場合、不況から脱出するためにどこから手をつければいいのだろうか?

多くの人が「まず給料を上げないと、消費する気にならないから、まずは給料を上げてくれ!」と思うのではないだろうか?

しかし、現代マクロ経済学では、それでは不況からの回復が持続しないと考えられている。というのは、企業が不況下でまず給料を増やしてしまうと、投資にお金が回らなくなってしまい、今年はよくても来年以降に悪影響を及ぼしてしまうからである。

そのため、標準的な回答では「予想実質金利を低下させて、個人の消費と企業の投資を増加させる政策をとる」ということになる。そうすれば、今年は苦しくても来年以降に企業の業績が回復し、給料も増え、さらに消費も増え、企業業績がさらに回復し、というよい循環が働くようになってくる。

それでは「予想実質金利は誰が決めているのだろうか?」

[金利(3):中央銀行]
(ポイント)様々な名目金利の基本となる政策金利は日銀が決めており、ほとんどの名目金利は以下のような形で書くことができる:「名目金利=日銀が決める政策金利+場合に応じた上乗せ分」

さて、ここで皆さん、財布を取り出して紙幣を確認してほしい。1000円札でも1万円札でも、5000円札でも2000円札(人気があまりないけど)でもいい。

日本銀行券」

と書いてあるはずだ。日本における貨幣の発行量は日本銀行(日銀)が決めている。日銀にはもう一つ重要な仕事があり、それは様々な名目金利の基本となる政策金利を決めることだ。ほとんどの名目金利は以下のような形で書くことができる。

名目金利=日銀が決める政策金利+場合に応じた上乗せ分

企業が投資資金を借りるときの金利も人々がお金を預けるときに預金金利も(上乗せ分に違いはあるが)この式で表すことができる。

[価格硬直性]
(ポイント)全般的な物価の水準は必ずしも急激には変わらない(少しずつ変化する)。言い換えれば、インフレ率は急激には変化しない。

値上げは庶民にとっては苦痛なものだ。バターの値段が上がったり、カップ麺の値段が上がったりして、怒りを感じている人も少なくないのではないか?

しかし、マクロ経済で重要なのは個々の物の価格(物価)ではなくて、ほとんどすべての物を考えたときの「全般的な物価の水準」が重要である。

個々の物価は急激に変化することがあるかもしれないが、ほとんどすべての物を考えたときの「全般的な物価の水準」は少しずつしか変化しない。そのため、「全般的な物価の水準」の変化率であるインフレ率もよほどのことがない限りは急激には変化しないことが知られている。

[不況になったら(不本意でも)金利を下げなければならない理由]
(ポイント)日銀は政策金利を下げることで予想実質金利を下げることができる。不況下においてはそれが企業の投資を増やし、人々の消費も増やすことによって不況からの脱出を助け、よい経済の循環を生み出す。そのため、不況になったら(不本意でも)金利を下げなければならない。

再度、名目金利の式と予想実質金利の式に戻ろう。

名目金利=日銀が決める政策金利+場合に応じた上乗せ分

予想実質金利名目金利−これから1年のインフレ率の予想

この2つの式から、日銀は政策金利を下げることで予想実質金利を下げることができることが分かる(一般にインフレ率は急激には変化しないため)。

不況下においては政策金利の引き下げが予想実質金利を引き下げ、企業の投資を増やし、人々の消費も増やすことによって不況からの脱出に向けてのよい経済の循環を生み出す。

と言うわけで、「不況になったら(不本意でも)金利を下げなければならない」という結論になる。

[いくつかの補足]
1. 「不況の時には財政出動だろ常識的に考えて」と考える人も少なくないのではないかと思う。短期的な効果としては財政政策がある程度有効な局面はあるはずだと思う。一案としては以前のエントリを参照してほしい。

2. 「生産性の向上が重要なのでは?」と考える人も少なくないのではないかと思う。長期においては生産性が一番重要だという意見には賛成する。しかし、いわゆる「生産性の向上」がどのようにすれば可能なのかについては分からない。

3. 「現在のコールレート(オーバーナイト無担)は0.5%なので、それを下げてしまったら、中央銀行にはできることがなくなってしまうのではないか?」と考えた人も少なくないのではないかと思う。実際、金利を下げるという点だけを見ると、コールレートを0%にしたらそれ以下にはできない(マイナスの名目金利は通常存在しない)のだが、その場合には[金利(2):名目と実質]で説明したように「予想インフレ率」を上昇させて予想実質金利を低下させると言う方法が残っている(Krugman (1998)による提案)ので、特に大きな問題ではない。

[参考文献]
このエントリーで解説した内容の基本になった論文は以下の5つである。
Braun, R. A. and Y. Waki (2006) “Monetary Policy During Japan’s Lost Decade,” Japanese Economic Review, Vol. 57, No. 2, pp. 324–344.
Christiano, L. J., M. Eichenbaum, and C. Evans (2005) “Nominal rigidities and the dynamic effects of a shock to monetary policy,” Journal of Political Economy, Vol. 113, No. 1, pp. 1–45.
Krugman, P. (1998) “It’s Baaack: Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap,” Brookings Papers on Economic Activity, Vol. 2, pp. 137–187.
Smets, F. and R. Wouters (2003) “An Estimated Stochastic Dynamic General Equilibrium Model of the Euro Area,” Journal of European Economic Association, Vol. 1, No. 5, pp. 1123–1175.

[教科書]
このエントリーに書かれた内容は目新しいことは何もありません。標準的なマクロ経済学入門書に書かれている内容を矢野なりに書き直しただけです。標準的なマクロ経済学入門書としてはたとえば

スティグリッツマクロ経済学 第3版

スティグリッツマクロ経済学 第3版

を参照してください。

*1:正しくは「期待」という用語を用いるべきだが、日常語の期待と混同されることがあるので、本エントリーではあえて予想という用語を使う。