ある天才の死

すでに彼の死についてはいろいろな人が述べているし、そもそも彼についてそれほど詳しい訳ではないので、その名前はどうだっていい。

訃報を聞いたのは昨日の朝だった。

昨日、昼休みに入ると僕は職場を出た。

特に親しくもなかったはずなのに、何も食べる気にならなかった。

ただ、まっすぐに歩きたかった。

職場から歩いてすぐの虎ノ門に出て、外堀通りを歩き始めた。

ただ、まっすぐに歩きたかった。

僕が始めて彼に会ったのは僕がJANOG 4の運営委員としてIPv6なひとときの裏方をしたときだったと思う。それ以外に会ったことはほどんどない。

だから、彼のことは直接はほとんど知らない。それでも一時期、インターネット業界にいた者としてはいたるところで彼の言動についてはよく聞いた。実際1999年から2001年半ばまでは僕自身も当時の会社でIPv6担当だったので、彼の偉大さはいたるところで耳にした。

彼についてもっとも的確な表現はslashdot.jpの以下の言葉だと思う。

技術というものがが人類の幸福に貢献できるということを信じて疑わず、かつそれを実践できるだけの実力を備え、その通りに自ら実践してみせた人物でした。
神と云う者がもしもあるのならば、私は神を憎む

彼に関する話を聞くたびに、「僕と同い年なのに、なんとすごい人なのだろう」とよく思ったものだ。

最後に会ったのはたしかsendmailのEric Allmanが横浜に来たときだと思う。

その時、インターネット上の2000年問題対策を検討するY2K/CCの立ち上げメンバーの末席の一人としてその重要性を彼に強調したような記憶がある。

その時、「もし何か相談があったら電話してください」と言って、彼は携帯の番号を教えてくれた。

その後、2000年問題は何事もなく過ぎ去り、僕自身も人生の方向転換をし、エンジニアを辞めて統計学者になってしまったので、一度も連絡することはなかった。

昼休み僕はまっすぐに歩き、気が付いたら汐留シティセンタービルが目の前にあった。

そして、自分の奥歯がギリギリと音を上げるのを聞きながら、僕は汐留シティセンターをしばらく眺めた。

特に親しくもなかったはずなのに、なぜか「こんな理不尽なことがあっていいものか」と感じた。

そして、またまっすぐに歩いて職場に帰った。

僕の携帯電話のアドレス帳にあるあなたの番号は消さずに残しておきます。

決してかけることのない番号だけど、残しておきます。